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東京高等裁判所 昭和62年(う)986号 判決 1988年6月30日

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は弁護人伊藤卓蔵、同古屋亀鶴、同中山博の連名で提出した控訴趣意書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は検察官原武志の提出した答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

各控訴趣意中、事実誤認、法令の適用の誤りについて

所論は、要するに、腎不全患者に対する人工腎臓装置による血液透析治療(以下「透析治療」という。)において、同装置を患者の静脈に接続・解除するためなされる原判決認定の穿刺針の刺入・抜去行為は、「シャント」といわれる手術により太くされた静脈血管に対してなされるものでもあり、手技も易しく、それ自体に人体に対する危険性が殆どなく、しかも透析治療に付随する僅かな行為に過ぎないから、保健婦助産婦看護婦法(以下「保助看法」という。)に違反しないし、仮に形式的に違反するとしても、右のような事実のほか、人工透析治療において透析士が不可欠の存在として定着し、全国的にも無資格の透析士が本件同様針の刺入・抜去行為をおこなっていたことなどからみて、本件行為は社会的相当行為ないし可罰的違法性のない行為というべく、刑法三五条を適用してその違法性を阻却すべきであるのに、原判決は本件行為の危険性ないしこれが透析治療において占める位置ないし比重について事実を誤認し、その結果、右行為が保助看法三七条の医療行為に該当するとして同法三一条一項、三二項、四三条一項一号を適用した誤りがあり、右誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかである、というのである。

しかしながら、原審記録を調査し、当審事実取調べの結果を参酌して検討してみても、原判決が(争点に対する判断)として説示するところを含め判決に影響を及ぼすような事実の誤認、ひいて法令の適用の誤りがあるとは認められない。以下、所論に鑑み付加説明する。

まず、所論は透析治療における患者に対する針の刺入・抜去行為は殆ど危険性のない僅かな行為に過ぎないから、保助看法に違反しないというのである。

しかしながら、本件透析治療における針の刺入・抜去行為が通常動脈と連結され太くなった静脈すなわちシャントに対しなされるものとはいえ、まずこれが人体に対する物理的侵襲を伴うものであって、人体を損傷するものであるばかりでなく、シャントは静脈とはいえ動脈化したものであること、刺入は動脈針及び静脈針の二本の穿刺針を二か所に刺入するものであり、しかもその針は例えば静脈注射に用いられる注射針よりかなり太く長いものであること、透析治療は継続して毎週二、三回、場合によってはそれ以上行うものであり、そのため使用する針や刺入部位の選択についても注意を払う要があること、針が刺入されるや透析が終わり抜去されるまで約四時間以上の長時間にわたり刺入されたままの状態で右針(静脈についてはカニューラと称する管の場合もある。)を通し透析するものであり、そのためにもその針は単に血管内に刺入するだけでなく相当程度刺し入れ安定させる要があること、そのほかにも例えば針が血管を突き抜けたり無用の傷をつけたり雑菌が入ったりする危険をはらみ、時として、出血、血管痛、局所の炎症、静脈炎、敗血症、静脈閉塞等が生ずる恐れも否定できないことなどに徴すれば、穿刺針の刺入・抜去行為は所論がいうごとく危険性が殆どないとか手技が格別易しいとは認めがたいところである。原審証人太田和夫、同越川昭三らは、シャントに注射するものであることを理由に手技が易しいなどとこれに反する供述をしているが、手技の難易の関係では穿刺針の太さや長さ、継続的刺入、患者の特性などがもたらす影響については触れていないこと、前記越川証人、当審証人柿沼実も前示のような危険性もあることを認めていることなどのほか、被告人らが提出した甲クリニックでの透析治療の看護手順に関する透析士に対する講義資料によっても刺入に前示のような危険性があることやある程度の手技を要することが明らかに示されているばかりでなく、原判示両クリニックにおいて新たに採用した職員を透析士として養成するに当たって針の刺入・抜去行為をさせるのはその最後の段階であることからみて、前示証言部分は俄に借信できない。しかも、針の刺入・抜去行為はそれのみを自己目的として行われるものではなく、透析治療の一環として、すなわちその動脈針を通して患者の体内の血液を体外に出し人工腎臓で透析し静脈針を通して体内に返す方法で循環させることを目的として行われるのであり、透析治療の開始・終了に直結するものでもあって、これが医師の指示に基づきその補助行為としてなされるものとはいえ、感染予防措置や刺入部位、穿刺針の選択などのほか、絶えず患者の全身状態を把握し、異常な場合には医師の指示を仰ぐことを含め、その時点においてもこれを行うことが相当か否かの総合的判断、さらには患者に対する不安感の除去といった精神的看護等も当然なさねばならないのであって、透析治療における針の刺入・抜去行為は単に手技の巧拙だけに尽きるものではないというべきである。

以上の諸点に徴すれば、このような針の刺入・抜去行為は保助看法三七条にいう医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずる虞のある行為であること明らかであって、我が国が医療に関し免許制度を採用している以上、診療補助行為としてこれを業として行いうるのは所定の受験資格、欠格事由、試験科目等を定め、公的試験に合格し、看護婦(士)等の免許を授与された有免許者のみであるというべきである。もとより、透析治療においてその中枢をなすのは人工腎臓による血液の透析であり、針の刺入・抜去行為よりも透析装置の保守点検及び操作の誤りの方がより危険性を孕むものであることは所論のとおりであるにしても、それは透析治療の実施に際しての危険性の比較に過ぎず、針の刺入・抜去行為の危険性がないことの証左となるものではないし、これが単に付随的な僅かな行為といえないことも先に説示のとおりであって、言葉の問題は別として、無資格の透析士に当然許される内容のものではない。そもそも、透析治療が比較的新しい医療分野で、人工腎臓の使用については器械操作の占める割合が大きいことなどから、現状において透析装置の保守点検及び操作はその専門的知識と技術を有する透析士がこれに当たる方がより安全であり社会的にも定着していること、その操作等と針の刺入・抜去行為とはその関連宜しきを得なければならないことは所論のとおりであるにしても、そのことの故に針の刺入・抜去行為まで透析士がやらねばならない必然性はなく、当然に許容されることになるものではない。すなわち透析治療における透析士の関与はあくまでME機器である透析装置の保守点検及び操作についての専門的技術と知識の故にその範囲内でのみ社会的相当性を主張しうる余地があるのであって、担当職務の危険性の大小や透析治療の占める度合、関連性によって主張しうるのではないのであり、まして医学的・看護学的判断を必然的に伴い前示のような危険性ある針の刺入・抜去行為が、本来格別の立法措置や理由もなくこの面ではいわば素人の無資格者に当然許される道理はなく、本件保助看法違反行為にそのような特別な事情を検討すらすべき余地のないこと原判決の指摘のとおりである。

以上説示のとおりであるから、透析治療における本件針の刺入・抜去行為が保助看法に違反すること明らかである。以上の点に関し原判決が(争点に対する判断)として説くところの措辞には賛同しがたい部分もないではないが、その趣旨とするところは先に説示するところと同一であり、判決に影響を及ぼすような事実の誤認は認められず、ひいて保助看法に違反するとした点に誤りはない。論旨は理由がない。

次に、所論は本件行為は社会的相当行為ないし可罰的違反性を欠く行為であるから違法性が阻却されるべきであるというのである。

しかしながら、先に説示の諸点のほか、原判決が認定した本件保助看法違反行為の態様に、殊にこれが長年にわたり原判示甲、乙山各クリニックにおいて組織的に行われ、このような行為が既に常態化するなかでその一環として行われたものであり、患者や国民の医療に対する信頼を裏切るものでもあること、しかも原判決が指摘するとおり両クリニックにおける透析士は未経験者が医療技術者として採用され、ME機器に関する高度な技術と知識を要し、危険性が大きいと所論がるる指摘する透析装置の保守点検及び操作を、針の刺入・抜去行為を含め、僅か一ないし三か月各クリニック内での見習い等で習得したとして独り立ちし本件のような行為をしていたものであり、いわゆる透析技術認定士はおらず、なお、両クリニックにおいては対患者との関係で有免許者が占める割合はこの種医療機関の中でもかなり低いものであることなどに徴すれば、本件保助看法違反行為が社会的相当性を認めがたいものであることはもとより、可罰的違法性にも欠けることがないこと明らかである。

前示証人太田は透析治療においては医療資格のない透析士が針の刺入・抜去行為をするのが全国の医療機関の平均的状態であるなどと、また同越川もこれができないとなると一時的にパニック状態になるなどと両クリニックにおける本件保助看法違反行為を是認するがごとき供述をしているが、これがいかなる根拠を基にするのか必ずしも明らかでないのに対し、検察官が透析治療を実施している多数の医療機関に照会した回答結果は右証言を否定するものであるし、民間医療に携わっている医師である原審証人目黒輝雄も無資格の透析士がこれをしなくても支障なく透析治療ができる旨明確に供述していること、被告人らが提出した透析治療に関する学会誌、機関誌等をみても、看護婦が一人しかいない施設もあることが指摘されている反面、医師と看護婦のみで構成する施設も多く、必ずしも透析技士は必要な存在ではないとの透析技士の意見すらあり、これらはともかくとしてもそこに示されている数次にわたる実態調査結果からは太田証人らがのべるような医療実態は到底窺えないのであり、むしろ多くの医療施設は看護婦等の有資格者の確保が決して容易でない現状のなかでも針の刺入を含め、透析の開始・終了操作は有資格者の仕事とし地道に努力していることが窺われるのである。前示のとおり透析治療において透析士の関与が社会相当性を主張しうるのは透析装置に関する専門的技術と知識の故であり、かつその危険性に鑑みれば先に透析療法合同専門委員会が私的に制定した透析技術認定士試験に合格しうる程の専門性を身につけてこそ相応しいもの、換言すれば本来それほどの専門性を必要とするのであり、針の刺入・抜去行為についてはその認定士についてすらこれをさせるか否か煮詰め得なかった程のことなのである。原判示両クリニックにおける透析士の養成実態は前示のとおりであって、本件においては右のような認定士は一人もいなかったことが明らかであり、本件行為者らによる針の刺入・抜去行為に社会的相当性を許容すべき余地などないこと贅言を要しないところである。

また、所論は、医師の指示の下に生命維持管理装置の操作及び保守点検を行うことを業とする者を新たに臨床工学技士の名称で認めた昭和六二年六月二日公布の同年法律第六〇号臨床工学技士法が、右操作には「(生命維持管理装置の先端部の身体への接続又は身体からの除去であって政令で定めるものを含む。以下同じ。)」と規定する一方、同法附則三条で「この法律施行の際現に病院又は診療所において、医師の指示の下に、適法に生命維持管理装置の操作及び保守点検を業として行っている者」の存在を前提にした受験資格についての特例措置を設けていることからみて、同法は従来の透析士が無資格のまま事実上針の刺入・抜去行為を含む生命維持装置の操作に携わっていた実態そのものを適法として社会的相当行為であることを肯認したものであり、右に「適法に」というのはこれまで病院または診療所において、医師の指示の下にこの業務に従事してきた者で、医療過誤事件などの事故を起こすことなく無事にこの業務に従事してきた者という程度の意味しかないというのである。なお、同六三年二月二三日公布された同年政令第二一号臨床工学技士法施行令の第一条第二号によれば「血液浄化装置の穿刺針その他の先端部のシャントへの接続又はシャントからの除去」が前示「政令で定める」操作の一つとして定められている。

しかしながら、もともと特別な規定や理由もないのに当時他の法律により違法とされた行為が遡って適法となりえようはずがないばかりでなく、その専門性につきある程度の客観性を主張しうる認定士ですら針の刺入・抜去行為をすることについて煮詰められていなかった程であり、透析治療の実態が所論のようなものではないこと、同法附則三条は受験資格について経過措置を定めたものであることなどのほか、同附則がわざわざ「適法に」との文言を挿入していることに徴すると、右に「適法に」というのは、以下に続く「生命維持管理装置の操作及び保守点検を……行った」を制約するものと解すべきである。すなわち、この種職種が医療の現状において必要性と重要性を有していながらいまだ資格が制度化されていなかったため、これがいわば野放しにされその実態が職務範囲や専門性の点を含め様々であり、中には前示専門性においてすら社会的相当性を主張しうるのが憚られるほどの者もいることから、その当時の関係法令やその基底となっている法秩序に照らし許容できないものを排除する趣旨と解されるのであって、従って原判決が事実上生命維持管理装置の操作に一定年限携わっていた者ならば誰にでも受験資格を付与するものではないことを示しているに過ぎないとした点に誤りはなく、所論のように解する余地はない。

その他所論がるる主張する点を精査検討してみても、事実誤認の点を含め、原判決の法令の適用に誤りがあるとは認められないのである。

各論旨は理由がない。

各控訴趣意中、量刑不当の主張について

所論は、要するに、原判決は一部事実を誤認したこともあり、その量刑が重きに過ぎて不当であり、被告人らに対しては執行猶予付罰金刑に処して形式的違法を確認するに止めるべきである、というのである。

しかしながら、先に説示した本件保助看法違反の内容、被告人らの地位、役割、すなわち被告人春男は両クリニックを経営する○○会の理事長で名実共にその最高責任者であり、有資格者の確保が必ずしも容易でないことにもかまけ、当初から経営方針として無資格者に透析治療に際しての針の刺入・抜去行為をさせることを積極的に押し進め、これを常態化させたものであり、本件のような医療体制は同被告人の意思を体現したものでもあること、その後乙山クリニックの院長に就任した被告人夏子もこれに疑問を抱きながら改善するどころか被告人春男と共にこれをさらに推進していたものであること、被告人ら以外で両クリニックで勤務した医師らの多くはいずれも前示のような医療体制に疑問を持ち、被告人春男にその善処方を求めていたし、また看護婦の中にもこれが違法であることを明確に認識し院内で指摘することもあったし、さらに透析業務に携わるべく採用された者ですら本件のような針の刺入・抜去行為をするについては無資格でそのようなことが許されるものか素朴な疑問と危惧、不安感を持ち、その旨訴えることもあったのであり、殊に被告人春男においてこれを改善すべき機会と猶予をえながらさしたる改善の努力もないまま本件に及んでおり、その結果被告人らの指示に従った多くの将来ある青年を含む善良な勤労者を本件に巻き込んでいることに徴すれば、その刑責が厳しく問われるのは蓋しやむをえないところである。本件で起訴されているのは透析治療における針の刺入・抜去行為であって、返血などの行為を含むものではないことに鑑みると、原判決が被告人らに対し悪しき情状として説くところには左袒しがたい点もあるが、前示の諸点に徴すれば、被告人春男につき原判決が説示する有利な事情などを十分斟酌してみても、相応の責任は免れがたいところであり、同被告人に対する原判決の科刑が重きに過ぎて不当であるとは認められない。また、被告人夏子についても、同被告人が乙山クリニックの院長に就任した当時既に前示医療体制ができあがっていたとはいえ、同被告人は被告人春男の長女でもあり、また着任の経緯からも、他の医師と異なり、同クリニックの運営についてかなりの発言力や支配力があったことを考慮すると、その刑責も決して軽視できるものではなく、その違法性の程度が軽微であるともいえない。従って、原判決が同被告人に有利な事情として説く点(但し、前記説示に反する点は除く。)その他所論指摘の諸事情を十分斟酌してみても、同被告人に対する原判決の科刑は重くはない。結局、原判決には量刑に影響を及ぼす程の事実誤認もない。

各論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高木典雄 裁判官福嶋登 裁判官田中亮一)

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